“100 Basics of YOGATO” 005 「すぎる」は暴力になり得る(非暴力:アヒンサ)
“100 Basics of YOGATO”
YOGATOのきほん。100のこと。
ゆっくり書き綴っています。
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「005/100」は「すぎる」は暴力になり得る。
「何ごとも過剰は暴力にもなる」という内容です。
ヨガの八支則の1番目「ヤマ(禁戒)」
には六つの教えがある。
・非暴力(アヒンサ):他者や自分に対して暴力を振るわないこと。
・正直(サティヤ):真実を語ること。
・不盗(アステヤ):盗まないこと。
・禁欲(ブラフマチャリヤ):性的エネルギーの節制。
・不貪(アパリグラハ):不要なものを持たないこと。
非暴力(アヒンサ):他者や自分に対して暴力を振るわないこと。
その中の「非暴力(アヒンサ)」につながる
YOGATOのきほん。100のこと。
私は若い頃から「過ぎる」タイプだ。
好きなことも、苦手なことも、
没頭すると周りが見えなくなるほどに「やり過ぎる」
好きで楽しいから「やり過ぎる」。
苦手でうまくできないことも、出来ないと言われたくない
隠れカッコつけの良い格好したがりだったから
評価を気にして「やり過ぎる」。
私は非常に、めんどくさい人でした。
この性質を知ってからは、「過ぎないように」きをつけている。
バランスを取りたい。
それが人生後半のテーマでもある。
『中庸』の取れる状態を目指すこと、多分これが私の人生のテーマ。
自分の「肉体・精神」以上に過剰に頑張ることや追い込むことは
暴力なのだということに40年を経て腑に落ちるようになった。
なぜ「過剰」の性質が強くなったのか、
元々の気質、家族構成、遺伝、、、色々背景があった上で、
人よりも優れている部分がない(と感じていた)。
なんでも普通。よく親から「器用貧乏」と言われていたことも気にしていた。
無意識で兄や姉とも自分を比較して、勉強では敵わないから、
自分は人よりもたくさん頑張ることをしないとダメだ、
準備をしないといけない。
そうしないと「評価」はしてもらえない。
そんなラベリングを自分に貼っていた。
そのままの価値観で大人になり。
努力でもどうにもならないことを知り。
「壁」にぶち当たった。
その時の私はとうに自分の体力・気力を無視して
走ろうとしていた。自分のからだと心の声は無視。
そりゃ壊れる。
暴走する私にブレーキをかけるため、体調を崩したり、
ひどい体の痛みが出たり、そういうことが起きたりする。
陽極まれば陰極まる。
「養生よーが」のクラスの中でお話します。
陰も陽もどちらも大事。
過剰に「陽」傾き、極まれば続ければ、
いつか「陰」極まる。
日々の生活も、ヨガも
おなじだなと日々感じます。
自分に甘いわけではなく、エッジも体験しながら
自由でありつつも、みる。
「中庸」だ。
今の自分で勝負する。勇気。
準備しない、安心という保険をかけない
それは自分を信じるということ。
逆な場合もあると思う、
バランスみる必要がある。
「すぎる」は暴力になり得る
「頑張りすぎる」が過剰であれば自分の肉体精神を攻撃するかもしれない。
「頑張りすぎない」が過剰であれば自分の持っている力を信じない、
放置している状態でもある。
どちらも過剰は自己ネグレクトなのだと思う。
過剰にならないバランスを見る力を
内観をすることで養う。
自分を信じて包み込む優しさも。
「ヨガのポーズ」「アーサナ」は
クリパルヨガにとって「内観の最強ツール」。
だから私は「ヨガ」をする。
「すぎる」は卒業だ。
甘やかしすぎない、でも暴力にならない
「エッジ」の探究をしていきます。
(「エッジ」についてはまた別の機会に・・・)