YOGATOの週末コラム

アーサナの中で、感じるということ。静かに自分と向き合うヨガの入口

YOGATOの週末コラム



桜のつぼみがほころび、世界がにぎやかさを増していく4月。
心もからだも、知らず知らずのうちに外側へと向かいやすい季節です。

そんな時期だからこそ、あらためて大切にしたいことがあります。
ヨガのポーズ(アーサナ)は、


動くことや、形を整えることだけが目的ではありません。
“いまの自分”がどのようにそこに在るのか。
それを、からだも心も、
静かに「みる」ための入口にもなっています。

ゆっくりとからだを動かしながら、内側へと意識を向けていく時間。
それは、自分のからだに対して、
「いま、どんな感じ?」と、やさしくノックするようにはじめる対話です。



無理に開こうとしなくても、まずはその響きを、ただ静かに聴いてみる。
外側の動きを通して、内側の感覚に光が向けられていく瞬間です。


胸やお腹がやわらかくひらかれると、呼吸が少し通りやすくなる。
自分を取り囲む空間とのつながりを、静かに感じることもある。
目に見えないけれど、確かにそこにある「呼吸の深まり」や「からだの静けさ」。
それに気づくためのはじまりは、
「いま、自分がどんな状態にあるのか」を丁寧にみつめることです。

無理に変えようとしなくても、すでに働いている力に気づくこと。
それだけで、姿勢や呼吸はやさしく調和していきます。

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ヨガのポーズは、ストレッチなのか、筋トレなのか。
そんな問いを受けることがたまにあります。


どれも要素として、つながっているようにも感じます。
部分で見れば、共通する要素も多くあります。
けれど、ひとつの言葉では言い切れないもの。

何が違うのか。

呼吸とともに、いまを俯瞰してみること。

内観すること。

それが、同時にあるかどうか。
上で書いたことと繋がるのです。

ヨガの動きの奥には、
からだや呼吸、意識のつながりが、静かに広がっています。
からだに触れ、呼吸に耳をすませ、意識が内側へと向いていく。
そうした流れの中で、動きは少しずつ別の質を帯びていきます。

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わたし自身も、以前は形を追うことに懸命だった時期がありました。
ひどい痛みがあり、できないポーズがとても多かった頃。

そのたびに、形に対して「できていない」と感じていた時期があります。
ただ同時に、その痛みがあったからこそ、
からだにやさしく問いかけながら、ノックを重ね
内側を探っていく時間も重ねていたのだと気づきました。

また、からだが硬いと感じるときも、同じことが言えます。
思うように動かないときほど、自分との丁寧な対話が生まれます。

体験を重ねる時間の中で、
からだも心も少しずつ、やわらかく変化していく。

いま、自分は何をしているのか。
何が起きているのか。

それを静かにみて、ただそのままに受けとること。

できている中で、
できないが見つかるとき。
そこから、内観が始まることもある。

けれど、
はじめからできないと感じる”何か”があるとき。
その時点で、すでに内観は始まっているのかもしれません。

だからこそ、
できないと感じるところにこそ、
静かに繊細にみていく時間があるのだと思います。

その積み重ねが、マットの上から日常へと、
自分を感じる健やかさとして、やさしくつながっていきます。

忙しさの中にあっても、
からだに触れ、呼吸を聴くひとときが、
自分へのやわらかなまなざしとなりますように。