<避けたくなる波こそ、まだ言葉にならない変化がある>

自分のからだにセルフケア整体をするとき、
そこに触れた瞬間に「強い感覚」が起きることがあります。
ただの圧なのに、思っていた以上に敏感だったり、
奥にズンと響くような痛みとして感じられたり。

YOGATOでは、セルフケアで触れる際に起きるその反応を
「良い・悪い」と判断するのではなく、そのままに受け取っていきます。


「今そういう状態なんだなー」
「ああ、そうなんだなー」と、ただそれだけです。

クリパルヨガでも同じように、
ポーズの中だけではなく、そこに入る前、離れたあとに残る余韻の中で、
何が起きているのかを静かに見ていきます。

変わろうとすることより先に、ただ「今ここにある反応」に気づくこと。
そこからすべてが始まっていきます。

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あるとき届いた言葉が、今も記憶に残っています。
「トリガーポイント・ヨガセラピー」を始めて間もない時期にいただいたメッセージでした。

「痛いところが沢山見つかってつらい」
「知りたくなかった」
「見たくなった」

そんな悲痛な言葉が綴られていました。
その一行の奥にある感情の重さがありありと伝わってきました。

当時の私は、「気づくことはよいこと」とどこかで信じていました。
けれどその気づきが、すぐに安心につながるとは限らないと、
はっとさせられました。

むしろ、そっと蓋をしていた感覚に触れたときほど、
心は大きく揺れることがあります。
気づきは光であると同時に、
まだ準備の整っていない場所を照らしてしまうこともある。
その両方が、そこにはありました。

クリパルヨガでは、

起きてくる反応や選択そのものを「プロセス」として見ていきます。

人生の中には、いくつもの”波”がやってきます。
少しだけ揺らすような波もあれば、
立ち止まらざるを得ないような大きな荒波もあります。

そのときにできることは、一つではありません。

少し触れてみること
距離をとること
今はそっと通り過ぎること

どれも間違いではなく、
そのときのからだの状態に応じた自然な選択です。

「今はまだ触れない」
「今は見ないでおく」
それもまた、ひとつの整い方です。

逃げに見えることもあるかもしれません。
でもそれもまた、その人にとって必要なプロセスの一部なのです。

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避けたものは、なくなるわけではありません。
少し形を変えて、また別の場面で現れることがあります。

それは試されているというよりも、
まだ言葉になっていない感覚が、
別のかたちでそっと現れているようなものかもしれません。

だからこそ大切なのは、無理に向き合うことではなくて、
「今の自分は、どこまでなら触れられるのか」を知っていることです。

そこには強さというよりも、静かなセンサーの成熟があります。

その感覚が育っていくと、
あるとき自然に「今日は少しだけ触れてみようかな」と思える瞬間が訪れます。
その選択は、誰かに促されるものではなく、
からだの内側から静かに現れるものです。

二の腕や脇の下に触れて違和感や痛みを感じたとき。
そのまま少し離れてもいいし、今日はここまでにしてもいい。

どちらを選んでも、からだの感覚はそこに残っていて、

必要なタイミングでまた静かにひらかれていきます。

波は消えるのではなく、形を変えながら続いていきます。
変わることは、何かを乗り越えることだけではなくて、
今の自分と丁寧に付き合っていくことの中にも、ゆっくりと起きている。

この”波”をどう捉えるか。

そこに、クリパルヨガのひとつの視点があり、
それ自体もまた興味深さを持っています。


一般的なアプローチとは少し違って感じられることもあるかもしれません。
けれど、その違いも含めて、ひとつの深い体験だと感じています。



最後までお読みくださり、ありがとうございます。