<書く、座る。① – 潜在意識を見ることが自分を整える>

20代特に後半の頃、どれほど眠っても疲れが取れず、いつも重だるかった。
からだのあちこちに、逃げ場のない「痛い感覚」がありました。

その頃の私にとって「書く」ことは、切実な体調管理の記録。 
けれど、ある時書くことによって、気づくことが増え
自分自身の内側の感覚が変化していることに気がついたのです。
それは、深い眠りのヨガでサンカルパを刻むように、
自分の潜在意識へと手を伸ばす。 
そんな、自分自身との特別な対話の時間になっていきました。

頭の中だけで考えているとき、

不安や痛みがある場合それは実体以上の影を持ち、
思考を占領しようとします。
けれど、ペンを手に取り、紙にその思いを預けてみる。 
ペン先が紙を滑る音を聞き、指先に伝わる重みを感じながら言葉を置いていく。 
言葉が紙に定着した瞬間、
それは「私そのもの」から「目撃できる事実」へと姿を変えます。
これが「内観」ですね。

感情を書き出し、一晩、そのままにしておく。 
すると、あんなに喉元まで迫っていた焦燥感が、
翌朝には「まあ、いいか」と、乾いた風のように通り抜けていく。 
書くことで自分の中に、
新しい呼吸の通り道が生まれたのだと思います。

慢性的な痛みや、心に刺さったままの棘や不安。 
それらを否定するのではなく、
ただ「今、ここにあるね」と文字にして眺めてみる。 
その行為そのものが、副交感神経を優位にし、
こわばった心もからだも内臓も、本来の場所へと戻していく、
静かな手当てとなります。

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書くことで、隠れていた本音が芽吹き、 
座ることで、その芽が自分の真ん中に根を張る。
背骨を貫く督脈、お腹側を通る任脈。 
その中心を通るじぶんの軸が、
書くことと座ることの往復で定まっていきます。

積み重なったメモや言葉は、
自分に寄り添い続けてきた、やさしいしるし。
立派な文章じゃなくていい。
ほんの一言のメモや、あるいは何も書くことがない日があってもいい。 
「書くことがない」という今の状態に気がついている。
それだけで、自分を整える往復はもう始まっています。

書くことも、 座る・瞑想も、 ヨガのアーサナの体験も。 
アプローチは違えど、すべて同じ「内観の工程」です。
言葉の向こう側にあるその静けさを、
これからも気楽に味わっていきたいですね。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。