<“感じ取る力”を育てる – アーサナと瞑想のあいだにあるもの>
瞑想の時間に、私たちはいつも「気づいて、戻ってくる」ことを繰り返しています。
呼吸を観察していても、ふと意識が別のところへ流れていく。
考えごと、感情、過去の記憶、そして身体の痛み——。
それらは、いまの心のありようを映す鏡のようなものかもしれません。
無意識にフォーカスが向くほどに、それだけ心が関心を寄せている。
そう思うと、浮かんでくるもの一つひとつが、
いまこの瞬間の“わたし”を教えてくれるように感じます。
そしてそのことに気づいたとき、私たちはまた、呼吸へと戻っていきます。
この“気づいて戻る”というプロセス。
それこそが、瞑想の中でいちばん大切なことなのだと思います。
そして最近、この体験はアーサナの探求ともまったく同じなのだと感じます。
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アーサナの実践の中でも、クリパルヨガでは常に観察しています。
どこまで伸ばすか、どの位置でとどまるか。
呼吸は届いているか、力は入りすぎていないか。
その一つひとつを丁寧に感じ取るたび、
エッジ(心地よさと挑戦の境目)に触れていきます。
けれどその最中にも、意識は揺れます。
「もう少しエッジを深めてみようか」「この位置でいいのかな」——
そんな、何か思考が立ち上がった瞬間、
私はふと、呼吸や、自分の“あり方そのもの”の存在を思い出すのです。
「あ、いま考えていたな」と気づく。
そして、もう一度呼吸へ戻る。
まさに瞑想で起きていることと同じです。
動きながら観察し、気づいて戻る。
アーサナは、内観すること——
その“観察”という行為が働くことで、
『動く瞑想』となるのだなと改めて感じます。
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アーサナの探求では、「感じよう」とする意志と、
「委ねていく」静けさの両方が必要です。
からだを通して今を感じ取りながら、
必要以上に操作せず、ただ見つめる。
それは瞑想における「観察する」という姿勢そのものです。
見ようとする努力と、見守るやさしさ。
この二つの間で呼吸が流れはじめると、
動きの中に穏やかな静寂が生まれます。
その瞬間、思考の波が少し遠くへ引いていき、
ただ呼吸と一体になっている自分に気づきます。
「動いているのに、座っているような感覚」。
その静けさが、アーサナの中に広がっていきます。
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“気づいて戻る”ということは、
アーサナでも瞑想でも、日常でも同じ。
離れても、また戻ってこられる。
その往復の中で、感じ取る力が育ち、
自分との信頼関係が深まっていきます。
ヨガが教えてくれるのは、
「離れないようにすること」ではなく、
「離れても戻ることができる自分を信じること」。
気づいて、戻ってくる、その繰り返しの中に、
やさしい集中と深い静けさが育っていく——
そんな時間を、
短いながらも、今日の瞑想の中で味わいました。
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秋の空気が、少しずつ冷たさを帯びはじめました。
呼吸はその冷たさを胸の奥に運び、
吐く息はやわらかく、静かに温もりを返してくれる。
外の世界が静まっていくほどに、
内側の声が穏やかに響いてくる季節ですね。
今日の呼吸が、この日常にやさしく息づきますように。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
