<呼吸に残しておく、静かな余白と目撃意識>

吸う息が喉の奥を静かに通り、
微かな摩擦音が響いていく。

ウジャイ呼吸を丁寧に行っているとき、
私たちの内側では、
喉の奥にある迷走神経まわりの受容感覚が、
その繊細な刺激を受け取っています。

このやさしい刺激は、
高ぶりやすい交感神経を静かに鎮め、
からだと心を、安心や休息の方向へ導いていきます。

一方で、
「もっと長く吐かなければ」
「最後まで吐ききらなければ」と、
10割の力で呼吸をコントロールしようとすると、
その頑張り自体が、
喉や胸まわりの緊張へ繋がっていくことがあります。

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YOGATOのクラスで行うプラーナヤーマ(呼吸法)では、
秒数を細かく数えることは、ほとんどありません。

「正確に行うこと」や、
「上手に呼吸をコントロールすること」を目指すよりも、

意識的に呼吸を動かしたとき、
内側で何が起きているのか。

その感覚を、静かに見つめていくことを大切にしています。

無理に長く吐こうと頑張らなくてもいい。
自然な呼吸からはじめ、自分の感覚の7〜8割ほどのところで、
だんだんと呼吸を巡らせてみる。

すべてを握りしめるようにコントロールしきらず、
少し余白を残しておく。

その「残された2〜3割」があるからこそ、
私たちは、今ここで起きている感覚を、
客観的に眺めるゆとりを持つことができます。

クリパルヨガでは、
この「ただ気づいている状態」を、
目撃意識(Witness Consciousness)と呼びます。

普段の私たちは無意識のうちに、
「良い」「悪い」 「できている」「できていない」と、
評価や判断を重ねながら日常を過ごしています。

けれど目撃意識とは、
何かを選び取ったり無理に変えようとしたりするのではなく、

ただそこに留まり、
起きている現実に静かに気づいている状態です。

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「客観的」という言葉は、
どこか冷たく、感情を切り離した状態のように聞こえるかもしれません。

けれど実際には、10割でコントロールしようとしないからこそ、
私たちは感情に飲み込まれにくくなっていきます。

7〜8割の余白に身を置くことで、
判断する心から少し距離が生まれ、
今ここにある現実を、

そのまま味わうことができるようになっていきます。

感情に振り回されるのではなく、
感情をじんわりと感じ受け取っていく。

その静かなゆとりが、豊かな情緒や人間味へと繋がり、
物事を局所的ではなく、
大きな流れの中で見つめる視点を育ててくれるのだと思います。

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日々行なっている、

ディルガ・プラーナヤーマやウジャイ呼吸、
呼吸法そのものを極めることが目的ではありません。

呼吸を動かし、プラーナを巡らせていくこと。
それは内観していくための「器」を整える、静かな準備。

もしも、喉の痛みや息苦しさを感じるとき。
あるいは緊張やストレスによって、
交感神経が高ぶりすぎていると感じるときは、
ウジャイ呼吸をいったん横に置き、
通常のやさしい呼吸へ戻ること。
その「やめる勇気」も、とても大切な実践です。

「せっかくの呼吸法の時間だから」と、さらに頑張るのではなく、
今の状態を、そのまま受け入れていく。


それもまた、目撃意識の実践なのだと思います。
ルールや形に自分を無理に合わせるのではなく、
ご自身の感覚を最優先に。

五月の風が肌を通り抜けていく季節。
日常の中にそのやさしい余白がありますように。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。