モデレートという言葉は、強すぎず、やさしすぎず、
その中間にある強度を表す言葉です。
日本語にすると「中程度」。
けれど実際のクリパルヨガのクラスでは、
ただ「中くらい」を選ぶ時間ではないのです。
どこまでなら全体がつながるのか。
どこから先は、頑張りすぎになっていくのか。
その境目を感じながら、
自分に合う“ちょうどよさ”を探っていくこと。
モデレートは、そんな時間でもあり、
同時に心身の強さを育てていく時間でもあります。
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クリパルヨガでいうエッジの探求は、
限界まで深めることではありません。
安定した、無理のない呼吸があり、
その呼吸の中で保たれているアーサナがある。
だからこそ、その先にある繊細な境目を見ることができます。
もう少し使えるのかもしれない。
でも、ここから先はどこか一部だけが頑張り始めるかもしれない。
あるいは、まだ余白があり、もう少し全体で参加できるかもしれない。
そうした細やかな変化に気づきながら、今の自分に合うところを見ていくこと。
それが、エッジの探求の大切なところなのだと思います。
エッジ、という言葉には瀬戸際のような響きもあります。
けれど、その質はひとつではありません。
ソリッドに突き詰めていくようなエッジもあれば、
マイルドでやさしいエッジもある。
どちらが良い悪いではなく、
その日のからだや呼吸の状態によって、
触れていく(みる・使う)感覚も場所も変わっていきます。
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その中で大切になるのが、“ちょうどよく使う”ということです。
使わなさすぎると、全体のつながりは見えにくくなります。
けれど、使いすぎると、どこか一部が先に頑張ってしまう。
たとえば脚で支えたいのに肩に力が集まってしまったり、
お腹の奥の静かな働きを感じたいのに、
表面だけで形を保とうとしてしまったりすることがあります。
ここで必要なのは、ただ強くすることでも、
ただやさしくすることでもなく、
全体が無理なく参加できる出力を見つけることです。
そのエッジの中で行ったり来たりしながら、
今ある力を、プレスポイントを手がかりに全身で使うこともあります。
けれどそこで終わるのではなく、
また呼吸に戻り、全体のつながりを見直していく。
その繰り返しもまた、エッジの探求なのだと思います。
それは、とても知性的なことだと感じます。
感覚だけに任せるのでもなく、
頭で決めつけるのでもなく、実際に動きながら全体の様子を見ていく。
どこなら呼吸が通るのか。
どこなら心地よく保てるのか。
どこなら無理なく続けられるのか。
その見極めの中に、
アーサナを自分仕様に育てていくための大切な視点があるように思います。
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そして、その“ちょうどよさ”は毎回同じではありません。
元気な日と、疲れている日。
気持ちがひらいている日と、少し内側にいたい日。
同じポーズをとっていても、
その日のからだはいつも少しずつ違います。
昨日心地よかったことが、
今日もそのまま合うとは限らない。
だからこそ、型に自分を押し込めるのではなく、
その日の状態を見ながら選んでいくことが大切になります。
モデレートは、その練習にとても向いている時間です。
やさしすぎて感覚がぼやけるわけでもなく、
強すぎて見失うわけでもない。
使うことと、感じることのあいだを行き来しながら、
自分に合う参加の仕方を探っていくことができます。
同じ流れの中にいても、
感じていることも、選んでいることも、一人ひとり違う。
その違いがあっていいということもまた、
クリパルヨガの大切なところだと思います。
エッジの探求とは、頑張ることではなく、
安定した呼吸とともに、
自分に合う“ちょうどよさ”を見ていくことなのかもしれません。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
