桜のつぼみがほころび、世界がにぎやかさを増していく4月。
心もからだも、知らず知らずのうちに外側へと向かいやすい季節です。
そんな時期だからこそ、あらためて大切にしたいことがあります。
ヨガのポーズ(アーサナ)は、
動くことや、形を整えることだけが目的ではありません。
“いまの自分”がどのようにそこに在るのか。
それを、からだも心も、
静かに「みる」ための入口にもなっています。
ゆっくりとからだを動かしながら、内側へと意識を向けていく時間。
それは、自分のからだに対して、
「いま、どんな感じ?」と、やさしくノックするようにはじめる対話です。
無理に開こうとしなくても、まずはその響きを、ただ静かに聴いてみる。
外側の動きを通して、内側の感覚に光が向けられていく瞬間です。
胸やお腹がやわらかくひらかれると、呼吸が少し通りやすくなる。
自分を取り囲む空間とのつながりを、静かに感じることもある。
目に見えないけれど、確かにそこにある「呼吸の深まり」や「からだの静けさ」。
それに気づくためのはじまりは、
「いま、自分がどんな状態にあるのか」を丁寧にみつめることです。
無理に変えようとしなくても、すでに働いている力に気づくこと。
それだけで、姿勢や呼吸はやさしく調和していきます。
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ヨガのポーズは、ストレッチなのか、筋トレなのか。
そんな問いを受けることがたまにあります。
どれも要素として、つながっているようにも感じます。
部分で見れば、共通する要素も多くあります。
けれど、ひとつの言葉では言い切れないもの。
何が違うのか。
呼吸とともに、いまを俯瞰してみること。
内観すること。
それが、同時にあるかどうか。
上で書いたことと繋がるのです。
ヨガの動きの奥には、
からだや呼吸、意識のつながりが、静かに広がっています。
からだに触れ、呼吸に耳をすませ、意識が内側へと向いていく。
そうした流れの中で、動きは少しずつ別の質を帯びていきます。
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わたし自身も、以前は形を追うことに懸命だった時期がありました。
ひどい痛みがあり、できないポーズがとても多かった頃。
そのたびに、形に対して「できていない」と感じていた時期があります。
ただ同時に、その痛みがあったからこそ、
からだにやさしく問いかけながら、ノックを重ね
内側を探っていく時間も重ねていたのだと気づきました。
また、からだが硬いと感じるときも、同じことが言えます。
思うように動かないときほど、自分との丁寧な対話が生まれます。
体験を重ねる時間の中で、
からだも心も少しずつ、やわらかく変化していく。
いま、自分は何をしているのか。
何が起きているのか。
それを静かにみて、ただそのままに受けとること。
できている中で、
できないが見つかるとき。
そこから、内観が始まることもある。
けれど、
はじめからできないと感じる”何か”があるとき。
その時点で、すでに内観は始まっているのかもしれません。
だからこそ、
できないと感じるところにこそ、
静かに繊細にみていく時間があるのだと思います。
その積み重ねが、マットの上から日常へと、
自分を感じる健やかさとして、やさしくつながっていきます。
忙しさの中にあっても、
からだに触れ、呼吸を聴くひとときが、
自分へのやわらかなまなざしとなりますように。
