<直観と表現の行き来>

「表現と直観の往復」というテーマは、
私自身、とても興味深く感じているものです。

一般的にはあまり語られることの少ないテーマですが、
第5チャクラと第6チャクラは、
陰と陽の関係としても成り立っていると捉えています。

一見すると、分かりやすい構図があります。
よく話す人、外へ表現が向きやすい人は
第5チャクラの“陽”が強く、第6チャクラが“陰”。
反対に、物静かで内省的な人は
第6チャクラの“陰”が強くなる。

こういった特徴、個々に感じませんか?
夫婦やパートナーでこのバランスも対になっていたり・・・
でも実際には、この関係は固定されたものではありません。


くるくると、入れ替わる。

たくさん話しているときほど、
内側の感覚が置き去りになっていることもある。
静かにしているときほど、内側では言葉にならない確信が、
とても強く動いていることもある。

「話す=陽」「黙る=陰」という単純な話ではないのです。

第6チャクラは、眉間のあたり。
考えるよりも先に、もう「分かってしまっている」感覚がある場所です。
それは、はっきりした言葉や映像ではなく、とても曖昧で、
つかもうとするとすっと逃げてしまうような、確信として現れます。


私たちは大人になると状況に合わせられる能力が養われているが為に、
「ちゃんと考えてから話そう」「分かりやすく伝えよう」
と、言葉のほうを先に立たせがちです。

けれど、うまく話しているはずなのに、
どこか疲れが残るとき。伝えているのに、
自分の中が置いていかれたように感じる時、想いが届かない、、、
そんなときは、内側の目——
第6チャクラが、少し遠くなっているのかもしれません。

直観は、主張しない。
急かすこともない。
ただ、静かに「ここだよ」と示すだけ。
それに気づくか、気づかないか。
直観は、いつもそこにあります。


大きくなったり、小さくなったりするのではなく、
こちらの“聴く姿勢”によって、見えたり、見えなかったりするだけ。
そこにある感覚に”気づく”自分への傾聴力が必要なのです。
忙しいとき。考えすぎているとき。
答えを急いでいるときは気付けない。
そんなときほど、直観は声を潜めたように感じられます。


けれど実際には、消えているわけではありません。
ただ、後回しにされているだけ。静かになると、からだがゆるむと、
ふっと隙間が生まれる。
その瞬間、「ああ、そうだった」
という感覚が戻ってくることがあります。
誰かに教えられたわけでもなく、
論理的に考え抜いたわけでもないのに、なぜか腑に落ちている。
直観とは、そこにあるものなのだと思います。

そして声を出す、伝える、、、
その表現を担っているのが第5チャクラです。


この2つのチャクラはどちらか一方だけが強く働けばいいわけではなく、
行き来できることが、とても大切です。

直観があるから、言葉が嘘にならない。
言葉にするから、直観が現実とつながる。

だから私はこの2つ、一緒にみてあげたくなるのです。

・   ・   ・


ただ、ここで一つ。
「チャクラを開く」と聞くと、
正直ちょっと身構えてしまう。
そんな方も、きっと少なくないと思います。

実際、ヨガをしていない友人や家族と話していると、
だいたいそんな反応になります。
無理もない、と感じます。
「チャクラ」という言葉自体が、
日常の会話からは、少し離れたところにあるから。
リアリズム全開だった若い頃の私は、
たぶん一歩引いて、眉唾ものとして見ていたでしょう。

でも、今回のWSでやりたかったことは、
そうした“特別な話”ではありません。
「整える」「活性」という言葉は使っていますが、
何かを起こしたり、無理に開いたりすることが目的ではありません。

ただ、
なんだかいいな〜。
ちょっと楽だな。
そのくらいで、十分、とてもいいのです。

喉が少し軽くなった。眉間の力が抜けた。
呼吸が、さっきより通っている気がする。
それは、からだも感覚も応えていて気づいているということ。

だから、
今を感じるのです。

アーサナや瞑想、セルフケア整体の中で
ふと起きる気づきは、特別なものではなく、
そのまま日常へと静かにつながっていくもの。

“開こう”としなくてもいい。
小さな気づきから、自然にはじまっていきます。

変化や変容のプロセスは、
チャクラもまた、同じなのだと思うのです。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございます。