<目撃意識とボディスキャン>

<目撃意識とボディスキャン>

日々の生活の中で、私たちは無意識のうちに物事を

「良い・悪い」「得・損」「優れている・劣っている」「便利・不便」といった

二極的な基準で判断しがちです。

そして、自分にとって都合のいい方を選ぶ傾向があります。

でも、もしその判断を一旦手放し、選ぶことをせずにただ留まり、

両方を等しい目で見つめてみたらどうなるのでしょう? 

ただ見守り、その変化を感じ続けたら、何が起こるのでしょうか?

クリパルヨガでは、

この「判断せずにただ気づいている状態」を「目撃意識」と呼びます。

この目撃意識を育むということが、クリパルヨガの重要なテーマの一つです。

そして、この「見守り続ける」手法は

『瞑想』そのものなのです。

瞑想とはありのままを「ただ観ている/ただ聴いている」状態のこと、

と言われます。クリパルヨガはこの状態を、動きとともに意識的にしよう!

ということをやっているのです。

こう聞くと、『瞑想』のハードルが低く感じますね✨

目撃意識は、よく「客観的」や「冷静」と表現されますが、

冷淡で感情のない状態を意味するわけではありません。

この意識状態に心を置くことで、私たちは「判断する心」から徐々に解放され、

今ここで起きている現実をそのままに感じ、味わうゆとりが生まれます。

そのゆとりがあるからこそ、感情に振り回されるのではなく、

感情そのものをしっかりと味わえるのです。

実は、このゆとりこそが、

私たちの豊かな情緒や人間らしい温かさを育てていく鍵なのかもしれません。

さらに目撃意識を育むと、物事を一面的ではなく、反対側から、

あるいはもっと広いマクロな視点から捉えられるようになります。そうした視点は、

私たちがどれだけ周囲とつながり合いながら生きているかに気づかせてくれます。

たとえば、自然の営みと私たちの身体のリズムはとてもよく似ています。

季節の移ろいに応じて心身の状態が変化したり、

昼と夜の光の変化が呼吸や感情に影響を与えるように、

私たちの存在はつねに他との関係性の中にあります。

私たちは孤立した個ではなく、絶えず変化しながら互いに影響を与え合う、

ひとつの大きな循環の中に存在しているのです。

そうした「つながりの感覚」こそが、

目撃意識によって静かに思い出されていきます。

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ヨガのポーズを取ったりホールドしているとき、少し時間をとって、

何もせず自然な呼吸の流れを見つめてみてください。

「このポーズや動きはこうあるべき」という感覚や、

「このほうが心地よいはず」といった判断を手放し、

自分の中で起きているすべてのことにゆとりをもって向き合ってみる。

ただ体験し、感じ、味わう。それだけで十分です。

この目撃意識を少しずつ育むことで、ヨガの時間がもっと楽しく、

深いものになり、自分自身をより近く感じられるようになってきます。

自分にも、自分以外にも優しくなっていくような気がします。

私も毎日、見守り続けてます。

ぜひ、次のヨガの時間にこの目撃意識を取り入れてみてくださいね。

ここで、「ボディスキャン」の手法に改めて目を向けてみたいと思います。

ボディスキャンでは、身体の部位ひとつひとつに順番に意識を向けていく手法です。

ただしその際、

「どんな感じがあるか?」「痛いのか?気持ちいいのか?」といった

“判断”や“感想”を見に行くのではなく、ただ「ここにある」と意識を向けるだけ。

たとえば、「かかと」「足の甲」「足の裏」…と順番に意識を向けながら、

ただ「ここに、足がある」というその一点のみに留まり続ける。

そして、全身へと意識を向けていったときに、

「ここに、私がある」という静かな気づきに至ります。

このとき、私たちは「身体の状態を把握する」のではなく、

「今、ここにある存在としての身体」とつながっているのです。

判断も分析もせずに、ただその部位があるという事実とともに留まる。

この“見る”意識はまさに、目撃意識と重なっています。

そして興味深いのは、

クリパルヨガではこの「ボディスキャン」で行うような部位への“みる意識”を、

ヨガのポーズや動きの中でも丁寧に育んでいるということです。

たとえばポーズの中で、

腰回りが伸びている・胸が広がっている・足裏がしっかりと床についている…

そんな感覚に気づいたとき、「良い・悪い」「好き・嫌い」ではなく、

それが“今ここで起きている”という事実として見守る練習を繰り返しているのです。

つまり、私たちからだを動かしながらも、「静かに見ている意識」を育てている。 

それがクリパルヨガの大きな特徴であり、

瞑想の実践と身体の実践が統合されている部分なのだと思います。

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目撃意識が育まれると、

自分の内側で起きている変化や感覚を繊細にキャッチしながらも、

それに振り回されず、ただ在ることができるようになります。

「あー、そうなんだな」ただそれだけ。

それは、安心やゆとりを育み、

日常の中で自分とつながる大切な“静かな拠り所”になっていくのです。

どうぞ今日も、静かに、優しく、自分とともにいてください。

必要なのは、判断ではなく、ただ“みる”こと。 

その瞬間ごとに、からだは、心は、きっと何かを語ってくれています。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。