<月のリズムを生きる——新月の夜に寄せて>

<月のリズムを生きる——新月の夜に寄せて>

月礼拝は、クリパルヨガの流れの中で静かに育まれてきた動き。

誰かが意図して「つくった」というよりも、

「この動きが気持ちいいね」「この流れが自然だね」——

そんな体験の積み重ねから始まったのかなと想像します。

確かな文献があるわけでもなく、

その始まりを正確に知る人は、きっともう誰もいないのでしょう。

けれど、自然のリズムを感じる実践の中で、

人がふと“月の動き”をからだでなぞりたくなるのは、

ごく自然なことのようにも思えます。

呼吸とともに満ち、吐く息とともに静まっていく——

その繰り返しの中に、月と私たちのいのちは同じ律動を刻んでいます。

今夜の新月、空には月の姿はなく、

けれどその見えない闇の奥で、次の“満ちる準備”が静かに始まっています。

からだを動かす前に足裏を確かめ、

骨盤を大地に落ち着かせていく。

呼吸が波のように内側へひろがっていくとき、

そこにあるのは“頑張る力”ではなく、“巡る力”。

自然の一部としてからだが息づいていることを思い出す時間です。

骨盤の動きは、月や季節のリズムと深く結びついているといわれます。

新月と満月、そして月経周期のように、

一年を通じて変化していく陰陽のエネルギーに呼応しながら、

骨盤は静かに閉じたり、ひらいたりを繰り返している。

それは「固める」「ゆるめる」という動作を超えて、

生命のリズムそのものが、からだの奥で息づいているということ。

整体の視点で見ると、骨盤は“季節を映す鏡”でもあります。

春から夏にかけて外へひらく陽の流れ、

秋から冬へと収めていく陰の流れ——

その移ろいの中で、私たちのからだもまた自然の一部として呼応しています。

呼吸の波、血のめぐり、感情のゆらぎ。

どれも月の満ち欠けのように、押し寄せては戻っていく。

自分の内側の潮の満ち引きを感じるとき、

わたしたちは月と同じリズムを生きているのだと気づきます。

立位での側屈を、クリパルヨガでは「アルダ・チャンドラ・アーサナ」と呼びます。

“半月”のように内側の光と影を感じながら動く。

そこにも、月礼拝を大切にしてきた

クリパルのエッセンスが静かに息づいているように思います。

・   ・   ・

今朝の60分クラスでは、2つのアーサナをピックアップしました。

ひとつのポーズの中で感じる感覚と、

月礼拝の流れの中で受け取る感覚。

そこには、何か違いを受け取るかもしれません。

ひとつ目のアーサナは「女神のポーズ」。

地に根づく足の力と、胸をひらく受容の姿勢。

「立つ」という行為の中に、祈りのような静けさと力強さを感じます。

続いて、ふたつ目は大地へとつながる「三日月のポーズ」。

腕を上げず、呼吸を優先する選択もあれば、

腕を上げて胸をひらく選択もある。

どちらにも、その瞬間の“今”があります。

形の中で、背骨の奥を通る呼吸。

まだ形にならない光が、内側に静かに満ちていく。


ここにある“静けさ”こそ、新月が教えてくれる感覚なのかもしれません。

月礼拝の流れに身をゆだねていくうちに、

動きは呼吸に導かれ、呼吸は内側のリズムに導かれていきます。

吸って満ちる。吐いてゆるむ。

その繰り返しのなかで、

自然と“わたし”という形がやわらいでいく。


何かを始める前に、まずは静かに聴くこと。みること。

外に向かう前に、内なる静けさを取り戻すこと。

それが、この新月にふさわしい「整う」というあり方なのだと思います。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。