<人生の年輪を眺める #2|揺れる水面と、感じる力(7~14歳/57~63歳)>

近頃、雨の日の匂いや、夕暮れ時の空のグラデーションに、
妙に心が動くことはないでしょうか。

日々の忙しさのなかでは、効率や正しさを優先して、
つい自分の「感情」を後回しにしてしまいがちです。

けれど、ふとした瞬間に胸の奥がキュッと痛んだり、
理由もなく涙が出そうになったりする。

それは決して、心が弱くなっているわけではありません。

むしろ、私たちの内側にある「感じるための泉」が、
静かに満ちてきたサインなのかもしれません。


人のからだのなかには、
目に見えないいくつかの巡りがあるといいます。

そのひとつに、おへその少し下、骨盤のあたりに、
感情や瑞々しい創造性を司るエネルギーの拠り所があると考えられています。

ヨガでは、その場所を第二チャクラ(スワディシュターナ)と呼びます。


水の性質を持つとされるその場所は、
私たちの人生において、二度、大きな波となって巡ってきます。

知識としてそれを覚える必要はありません。

ただ、ご自身のこれまでの歩みと、
これからの景色をそっと眺めるための、
一枚の古い地図のように、このお話を置いておきたいと思います。

0〜7歳に安心の土台を育んだ私たちは、
7〜14歳になると、
今度は「感じること」の世界へと足を踏み入れていきます。

感情が揺れ、人とのつながりが生まれ、
自分という存在の輪郭が少しずつ色づき始める季節です。

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(7〜14歳)
感情の川が、激しく流れ出したあの頃

一度目の波は、7〜14歳頃。

小学校の後半から中学校にかけての、
あの少し気恥ずかしく、落ち着かない季節です。

それまでは親の境界線のなかで無邪気に生きていた子どもが、
急に「自分」という個の輪郭を持ち始める。

身体が大人へと変化し、理由のないイライラや、
言葉にできない寂しさが、堰を切ったように溢れ出す時期です。

誰かを猛烈に好きになったり、
友達の一言に深く傷ついたり。

部屋で好きな音楽を聴きながら、
世界のなかで自分一人だけが取り残されているような錯覚に陥ったり。


あの頃の私たちは、
自分の内側に湧き出る激しい感情の扱い方を、
まだ知りませんでした。

常に心が波立ち、どこへ向かえばいいのか分からずに、
ただ揺れていたように思います。

けれど、あのコントロールできなかった不器用な日々こそが、
私たちの「感じる力」の土台を作ってくれたのではないでしょうか。

何かに夢中になり、時に傷つき、
それでも何かを表現したいと願ったあの瑞々しい身体感覚。

それらはすべて、自分という川に流れ込み、
人生を潤していく、かけがえのない最初の水だったのです。

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(57〜63歳)
自家製のよろこびを、静かにすくい上げる

それから長い年月を経て、
人生の後半、57歳から63歳を迎える頃。

あの「水の季節」が、
もう一度、今度は静かな凪を伴って巡ってきます。

この時期の巡りは、
かつての思春期のような嵐ではありません。

社会的な役割や、
誰かのために生きる時間をひと通り通り過ぎ、
人生の酸いも甘いも噛み締めてきたからこそ訪れる、静かな季節です。

「私は、本当は何が好きだっただろう」
「どんなときに、呼吸が深く心地よくなるだろう」

誰かの目を気にする必要のなくなった舞台で、
自分だけの「内なるよろこび」を静かに見つめ直すタイミング。

若い頃のような激しい情熱ではなくても、
庭の草木に水をやるとき、
丁寧にいれたお茶を飲むとき、
お気に入りの本を開くとき。


そんな日々のささやかな瞬間に、
じんわりとした温かい充足感が満ちていく。

それは、誰かから与えられたものではない、
人生の苦楽を味わってきたからこそ生み出せる「自家製のよろこび」です。

「こうあるべき」という社会的なこわばりを手放し、
自分の素直な感覚に身をゆだねていく。

この季節に手にするギフトは、何にも縛られない、
本当の意味での心の自由なのかもしれません。

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周期が教えてくれる、人生の巡りがあります。

東洋の古い智慧では、
女性は7年、男性は8年の周期で変化していくと言われています。

また、ドイツの思想家ルドルフ・シュタイナーも、
人間の成長や発達を7年ごとのサイクルで眺めました。

不思議なことに、文化や時代、国を超えても、
私たちは同じような年齢の節目で、似たテーマに出会うようです。

感情の嵐に揺れた10代。
そして約50年後に訪れる、二度目の水の季節。
私たちは人生という年輪をぐるりと一周させて、
再び同じテーマの前に立ちます。

かつては受動的に振り回されていた感情の波を、
今度は「愛おしい自分の風景」として眺めることができる。

年齢を重ねるということは、若さを失うことではなく、
かつて通った道を、
より深く味わい直していくことなのかもしれません。

人生の後半にも、新しい学びや成熟、
そして深まる喜びがちゃんと待っている。

そう思うと、
歳を重ねていくことが改めて楽しみに思えてきます。

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現在44歳の私は、
この二つの季節のちょうど真ん中あたりに立っています。

10代の頃の、あの胸が引きちぎられそうだった
甘酸っぱい記憶からは遠く離れ、

かといって、
57歳から始まる二度目の水の季節はまだ少し先の未来です。

私は今、その季節をとても楽しみにしています。

子どもの頃の私は、
早く大人になりたいと思っていました。

自由になりたかったのだと思います。

けれど今振り返ると、
私が求めていた自由は、
何でもできることではありませんでした。

私は、そのままでいていい。

そんな安心感に、
ずっと憧れていたのかもしれません。

でも今は、
その頃のように急いでいるわけではありません。

自然にやってくるその時を、
ただ楽しみに待っています。

その頃には、もっと自分の心と仲良くなれているだろうか。

もっと柔らかく、
そのまんまの自分で、
暮らしのなかの小さなよろこびを
両手で掬えるようになっているだろうか。

そんなことを想います。

そして日々の暮らしのなかで私は、
骨盤まわりを緩め、
繊細にからだを感じながら動くことを大切にしています。

このエネルギーの拠り所は、からだのなかでは骨盤まわり、
そして「流れる動き」と深く結びついています。

ヨガでは、この骨盤まわりにあるエネルギーセンターを、
第二チャクラ(スワディシュターナ)と呼びます。


感情や感覚。
創造性や人とのつながり。

そんな「感じる力」と関わる場所だと伝えられています。

第一チャクラで育まれた安心感を土台に、
私たちは少しずつ内側の揺らぎや微細な感覚に気づいていきます。

自分は何を感じているのだろう。
何が好きで、
何に心が動くのだろう。

第二チャクラは、そんな探究が始まる場所なのかもしれません。

だから私は、
この骨盤まわりをやさしく緩め、巡らせることを大切にしています。


感情がどこか滞っていると感じるとき。
心が頑なになっていると感じるとき。
腰に違和感があるとき。
決まって骨盤まわりも強張っていることが少なくありません。

あぐらの姿勢で座り、
お尻を床に預けて背骨をゆらゆらと揺らしてみる。
おへその下を感じながら呼吸を意識的に繰り返す、
ただ今ここに生きているからだの感覚に委ねてみる。


からだのこわばりがほどけると、
不思議と心のなかの川も再び流れ始めるような感覚があります。

朝の一杯の白湯が身体を潤すように、
呼吸が骨盤の奥へと染み渡り、
内側の水面が静かになっていく。

知識で自分を縛るのではなく、
こうした日々の身体感覚に帰ってくること。
それが次の季節を迎えるための、
小さな準備なのかもしれません。

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年齢を重ねるほどに、
「ただ感じる」という時間は、
日々の忙しさのなかに埋もれてしまいがちです。

けれど、心が動く瞬間、
何かにときめく瞬間こそが、
人生に深い彩りを与えてくれます。

大きな夢を掲げる必要もありません。
誰かに証明する必要もありません。

「あぁ、これが心地いいな」
「私は、これが好きなんだな」

そんな瞬間を、
今日の暮らしのなかで見つけてみませんか。

いまのあなたにとって、
心地よいつながりとはどんなものでしょうか。

誰と、
何と、
あるいは自分自身と、
どんなふうに響き合っていたいと感じますか。

人生という長い旅のなかで、
傷つくことや心が揺れることを恐れずにいられるのは、
帰ってこられる安全な港があるから。

やわらかな水のように。
どうか、あなたが心から安心できる場所に居てください。

今日、あなたの水面には何が映っていますか。