<波のように動く、わたしたちのからだ>
先日、家族で訪れた水族館で印象に残ったのは、
水の中をゆったりと泳ぐ魚たちの姿でした。
尾ひれから背中まで、まるで水と一体になるように波打つ、しなる、、その動き。
見とれるようにしばらく眺めながら、
「ああ、わたしたち人間のからだにも、これと同じなんだよな・・・」と、
ふと感じたのです。
私たち人間も“脊椎動物”。
骨盤から頭までつながる一本の背骨は、
本来、魚や蛇のように、しなやかに波打つ動きを持っています。
けれど日常生活の中で、椅子に座っている時間が長くなったり、
同じ姿勢を保ち続けることが多くなると、
その背骨の波はだんだんと小さくなっていきます。
まるで凪いだ海のように、動いていないように見える。
でも本当は、背骨のひとつひとつが水のように連動しながら、
小さな波を起こせる存在なのです。
今日のクラスでも行った「八点のポーズ」から「コブラ」への流れは、
この“背骨の波”を再び呼び覚ますような時間でした。
からだや手で床を押し、胸を前へ足先は後へと伸ばしていくとき、
ただ背骨を反らすのではなく、
骨盤の底から頭のてっぺんまでをひとつなぎの波として感じてみる。
そのとき、からだはまるで魚のように、背骨のリズムで泳いでいるのかもしれません。
皆さんはどんな感覚を、この流れの中で感じていたでしょうか?
ポーズの形がきれいに見えることや、何かを強く伸ばすことが目的ではなく、
その波が、どんな流れなのか。
その波が、どれだけ自然に通っているか。
その中で、呼吸がどこまで通っているか。
そんなふうに見てみると、ひとつの動きがとても豊かな時間になります。
私たちの背骨は、硬く固めるためにあるのではなく、動きながら自分を支えるもの。
そして、心のあり方にもとても近い存在です。
背骨がしなやかに動けるとき、
呼吸は自然と深くなり、胸も、視界も、少し広がっていきます。
また、私たちのからだは、
大人でもおよそ60%が水分でできていると言われています。
筋肉も、臓器も、脳も、血液も……そのすべてが“流れるもの”として存在しています。
そもそも私たちは、“流れるもの”として生まれた存在なのかもしれません。
止まるためにではなく、巡るために。
波にのって、感じながら生きるために。
魚が泳ぐように、背骨を波打たせる動き。
その背後には、「からだ全体が流れている」という感覚が
支えになっているのかもしれません。
次回は、この「“流体”としてからだを扱う」というテーマで、
もう少し深く綴ってみたいと思います。
背骨の波からはじまった感覚が、
やがてからだ全体の巡りとつながっていくように。
わたしたちが本来持っている“水の身体性”を、やさしく再発見していきましょう。
お時間のあるときに、
今日の余韻とともに、背骨の波を思い出してみてくださいね。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
